2016年2月アーカイブ

 

蓋の表と裏の絵の中に恋の別れが暗示されている。

 

それから二つ目は物へのこだわりはこれなんですけど…。これ硯(すずり)なんですけどね。女性が持つような。

 

――書道の?

 

書道の硯なんです。昔は日常的に使っていたのだと思います。

 

――かわいい!

 

かわいいでしょ?直径は10cmしかないんです。これは骨董品なんですけれど、金額は自分が手が出せそうなもので。これはもう大のお気に入りなんです。墨を使った跡があるから、誰かが使っていたものなんですけれど。これ江戸時代のものなんです。

 

――えっ!?

――すごいですね…。

 

わたしが硯が好きなので、懇意なお店で品物が入荷すると「こういうのはどうですか」って見せて頂いたんですけれども。本当に可愛らしくて素敵ですよね。江戸時代の技術は本当に質が高くて、またこの蒔絵がとても素敵なんですよね。この絵の中に恋の別れを暗示している。職人さんが絵を描くときにただ描くだけでなくて、この中に物語とか思いとかを込めて作っていて。この雁の羽のところなんかもすごい細工なんですよ。本当に細かいんです。私は仕事していてちょっと疲れた時は、こういう美しいものを見ているとほっとするんです。

 

――癒されるんですね。

 

硯をもしかしたら恋人に送ったのかもしれない。「さよなら、だからいつまでも覚えています。お手紙下さい。」という思いで送ったのかなって勝手にストーリーを作りながら。こういうものをコレクションじゃないですけど、手元に置いて…

 

――使ったりはするんですか?

 

中には使ったりもするんですが、これは使わないですね。今のところ使わないでいます。この水滴は銀でできてるんですね。だからある程度裕福な方が使っていたのかなって。

 

――わたしも集めたい。すごく楽しそうです!

 

誰がつくったものか、誰が使ったものかを想像しながら。とても楽しいです。気に入ったものがあると、傍に置きたいなとか癒されるだろうなって。これは一番お気に入りのものです。

 

――細かいですもんね。この月の褪せ方とか。

 

そうそう。

 

――機械じゃないですからね!

 

職人さんが手仕事で筆で描いているんだと思うんですけどね。相当な技術の方がやっているのかななんて思いながらね。勝手に想像するとすごく楽しいです。

 

それぞれが命を大事にしてる…。それをこだわりにやっています。

 

――ではこだわりの話に移らせていただきます。

 

今回遠路遥々持ってきました(笑)これがわたしのこだわりです。(発芽玄米の機械を机に並べる)

 

――すごい!!!

――すごくこだわっていますね!!!

 

こだわりは一つは生きるスタイルのこだわり。生きるスタイルのこだわりっていうのは健康オタクなんです。丈夫そうに見えるんですけど色々体の弱さがあって。小さいころから食事には気を使っているんです。発芽玄米っていうのがいろんなところで売ってると思うんですが、それがいいですよっていうのを聞いて。発芽した玄米を真空パックになったのを買っていって。白米とか玄米とか混ぜるんですけど。もう少したくさん食べたいなってなったときに発芽玄米をつくる機械が売ってますよって教えて頂いたんですね。やっぱり健康オタクは健康オタクから情報を得るんですけど(笑)これがそうなんですけど、玄米を買ってきて20時間から22時間この機械に入れて、発芽させるんです。0.5ミリから1.0ミリくらい芽が出るくらいのところでとめると、急激にとめられることで、アミノ酸などがわーっと作られるんです。これもう15年使ってるんですけど、発芽させて玄米を炊いて食べているんです。

 

――毎日食べられているんですか?

 

家で食べるときはこれを主食にしています。外食以外は原則これを食べています。これが健康の基本になっています。これも発芽だから「育てる」。

 

――そうですね!

――先生のテーマが「育てる」

 

ええ。ちょっと今日は持ってこれなかったんですけど酵母も育てていて。塩麹ってありますよね。あれと同じように麹の甘酒でシャーベットを作ったり。

 

――え~~!美味しそうですね!!

 

美味しいですよ!本当に。甘酒を凍らせるとちょうどシャーベットみたいになるんです。そういうのも体にいいっていうので。酵母も温度が70度で死んでしまうので、温度管理をしながらゆっくりと3時間ほどかき混ぜたりしながら丁寧に丁寧に扱ってあげると美味しく発酵してくれるんです。

 

――すごく大変そう…。

 

大変なんです。でもすごく楽しいので。日曜日一日かけてとかね。土曜日の夜仕かけておいて、日曜日に出来上がるとか。

 

――僕絶対に待てないですね(笑)

 

やっぱり酵母育てるのは温度管理と時間の管理。あとじっくりかけてかき混ぜたり。プツプツプツと呼吸しているんですよ。それも可愛らしくて見ながらやってます(笑)生き物って自然に育つ力を持ってるなってすごく感じるんですよね。二年くらいたっている古米なんかでもちゃんと発芽してくれるし。酵母も冷蔵していて常温に戻すと糖を作ってくれるし。それぞれが命を大事にしてる…。それをこだわりにやっています。

 

――食べ続けて変わったことはありますか?

 

そうですね。やっぱり健康になった感じはあります。便通とか肌とか。どっちかっていうとアレルギー体質なんですけど、それは安定した感じです。

 

――これ(発芽玄米の機械)欲しくなっちゃいます!(笑)

 

これ新潟の会社なんです。毎回真空パックの発芽玄米をその会社で買ってたら会社の方から機械があるから、自宅で発芽させた方が美味しいですよって教えて頂いて。この機械を買うっていうのがなかなかまとまったお金がかかるのでどっちが採算が取れるんだと。3年半使えば元が取れると、まあ私の原価計算なんですけれど(笑)そうしたらもう15年使っているので、もう全然元取れてるかなって(笑)

 

――すごい元取ってますね!(笑)あんまり玄米を食べる機会がないですね。

 

そうなんですね。現在は玄米も炊ける炊飯器が出てきましたけれど、昔は圧力鍋でないとだめだったんので面倒くさかったんですよね。でもこの発芽玄米はもう水分を含んで膨らんでいるので白米と同じように炊けるんです。

 

――へえ…!

 

かわいいんですよ、芽が。でも発芽をとめちゃって食べちゃうんですけどね(笑)

 

――あはは(笑)でも芽が出てきた喜びってすごいですよね。

 

そうそう。芽を出し始めてね。どなたかが発見したんでしょうけどすごいなあと思います。

 

――初めて見ました、この機械。

 

そうでしょう。なかなか珍しいものだと思います。

 

 

 

*後日,インタビュアーの学生に,川瀬先生が発芽玄米のおにぎりを作ってきてくださいました。

 とってもおいしかったです!

「やる気の勉強会」というのを主催させていただいたんです。

 

 

――今日はご協力ありがとうございます。よろしくお願いします。心理職ならではの楽しかったことや、これまでの発見についてお聞きしたいと思います。

 

わたしの研究は児童の内発的発達動機づけという子どものやる気の研究が最初のスタートなんです。小学校を対象に研究をしてきました。学校で研究をするのはとても大変で協力してくれるところが少なかったんです。大体3年間くらい観察を行って、調査をしました。

 

そして私のもう一つの研究の柱に月経の研究があります。児童の二次性徴から大人になっていくまでの発達の研究をしていました。私の時代では小学5年生から二次性徴の授業を初めて行ったんです。養護教員の先生が授業したのを児童たちがどう理解しているかということを調査したんですが、多くの児童は親から話を聞きたいということがわかりました。しかし親は学校側から話していただいて、そのあと子どもに教えてあげたいという食い違いがありました。そこで、保護者を対象に「やる気の勉強会」というのを主催させていただいて、そこで話し合ったんです。そうすると保護者は自分たちは体験的に知っているけれど、子どもにどう教えたらいいのかわからない、あるいは子どもが学校から学んできたものをどのように理解してどのようなことを学んできたのかがわからないということでした。そこで私が提案して、子ども達が学校で授業を受ける前に、保護者達に同じものを先に勉強すると、子どもが聞き間違えていたり中途半端に理解していたりしたところを補足したり、子どもがどのように理解していたのかを理解することができるんじゃないかとういことです。PTAで呼びかけてもらって勉強会をしましょうかということになったんですね。年間6回毎回30人ほどの保護者の方々が集まってくださったんです。わたしも欲が出てきて、来て下さる方は熱心な方なんだけれども、参加するのはほとんどの方が専業主婦で。参加できない皆さんはお勤めをしていらっしゃる方たちなのです。何とかもっと多くの方に広められないかということを私から持ちかけたら、PTAで総会というものがあるんですけれども、自分たちの活動報告を来て下さった保護者の方たちにお話をしましょうと。そうすればもっと多くの保護者の方々に伝わる。そしてもっと保護者の方からも広めていきましょうと欲が出て、活動報告書を全学年に配りましょうとなったんです。保護者の方からもこういう活動で学べたことはよかった、みんなと共有したいと熱心に参加して下さって、会の運営も保護者の方がして下さって、自分が卒業するときに後の引継ぎの方も決めて下さったんです。子どもたちからどんなことが多く疑問に出て、それにどう答えればいいか、それから最後に、低学年用、高学年男子用、高学年女子用、この学校ではこの教材を使ってますということの用紙を作って、全校の児童にクラスを通じて配るということをどんどん保護者の方が進んでやってくださって、研究が実践された時が一番の思い出です。

 

――すごいお話ですね。

 

やっぱり保護者の力ってすごいなって思いました。きちっとマネジメントもできて、学校にも働きかけて。もちろん保護者のお力なんだけれども、養護の先生であったり、校長先生、PTAの会長、PTAの保健部会の方たちの協力があってできたことだと思います。教員たちも一つになって子どもたちの良いことになるならやりましょうと。保護者の方もちゃんと会の後輩を育てて、十何年も続くというのはやっぱりすごいことだなと。良い思い出です。

 

――今でも似たような活動は何かされているんですか?

 

今は飽和状態といいますか。地域全体に広がってくれたんですが。今は学校に入ることがなかなか難しくて、入れたとしても昼間になってしまうので、保護者の方たちが集まれないんです。今は幼稚園のお子さんを持った親を対象に発達相談をやっています。

 

――自分が母親になったときに子どもが成長していく中で、どのように教えていけばよいのか難しいと思うし、興味があります。

 

ええ。月経のことはお母さんたちは経験で知っているわけなんですけれどもね。

 

――そうなんですよね(笑)

 

二次性徴のことなどどういうふうなきっかけで話したらいいか…。茶の間に置いておく本とかを見つけてこられたり、子どもの目に届くところに置いておいて、「これ何?」となったら、それをきっかけにして話題作りをしようとか。

 

――こういう時って父親はどうすればいいんだろうって僕はいつも思うんですけど…。こういうのを男親から言うのって憚(はばか)られるというか…。子どもからしても嫌なのかなって。

 

うんうん。ただここで重要なのは男の子はお父さん。女の子はお母さん。ここで初めて役割ができます。まだ小学生だと男の子でもお母さんと一緒にお風呂に入ってたりするんですけど、そろそろ二次性徴のことから、今度はお父さんが「男はね…」っていう話をしなきゃいけないわけですよね。ですが日本のお父さんは仕事で忙しい方が多いのでなかなかそういうお話ができないんです。そこで男の子の性教育のDVDをお母さんを交えて観て、感想を言いながら教えていくっていうのをやりました。

 

――男の子の場合は勝手に気付くっていうイメージがあります。実際に僕がそうだったので。

 

調査をすると「あれがそうだったのかな」というような感じが多いみたいですね。女の子のように現象的にはっきりしていないので。できればいろんなことをお父さんから聞いていることはとても大事なことですよね。

『日日(にちにち)是(これ)好日(こうにち)』、一日一日が良い日であるようにと思ってますね。



そういえば、福沢諭吉(1834~1901)の名前位知ってるでしょ。中学?高校の教科書に登場しているから。

 

一同:はい。

 

福沢諭吉訳述『世界国尽(せかいくにづくし)』という本があるんですよ。

 

――はい。

 

あの方はすごく英語が達者なんです。そこで、『世界国尽』の種本(原拠本)は何かと調査しました。『世界国尽』は図があるんです。これが『世界国尽』の中の木版画なんです。これが、アメリカの教科書にのっている図と似てるでしょ?ほら。

 

 

出典:「近代日本における地理学の一潮流」2003年 p24

 


――ああ。あ、こっちがアメリカの画ですね。

 

そう。左側は銅版画です。右側が福沢諭吉の『世界国尽』の木版画。木版ですが、技術があるので非常に似てる。

 

――すごい。

 

挿絵図の大体70%以上の出典がわかりました。文章も、色々なテキストから引用?翻訳してます。学史研究というのは発見の連続であり、かつ客観的に現物を見るということが非常に重要です。大体、私の研究対象としているのは民間の地理学者でしょう。福沢諭吉も民間人でしょ。以前はアカデミックな、京都大学、東京大学等の学者ですね。帝国大学出身の先生の研究はたくさんあるんですけどね。本格的な民間地理学者の研究はここ20年間ぐらいですかね。現在の研究対象は、軍事と地理学との関連の調査です。例えば、明治時代の軍人の養成の学校がありますよね。そのような機関内での地理の教育はどういう風になってて、どういうテキストを使っているんだとかね。教育システムはどう変わっていったとかね。そんなことを考察しています。最近では、戦争中に参謀本部が作った地誌の本があるんですよ。軍隊が満州だとかどこか行く場合はその地域のことを知らないと戦争できないので。いわゆる『兵(へい)要地誌(ようちし)』。この研究もまた日本では全然なされてませんねえ。

 

――へえ。

 

ある中国の研究者が来日しました。世界で日本の兵要地誌のことを研究しているのは源さんと私だけだと、片言の日本語で言いました。ほんとにそうなんですね。ごく最近には、日本の小笠原諸島だとか伊豆諸島が、敗戦直前に攻められてくる作戦が見込まれたのです。内地の帝都付近の島々は、いかにして攻められるのを防げるかを想定した地図を作ってるんですね。そういうものを調べています。私が言いたいことは、さっきちょっと言いましたように、今役立つんじゃなくて、いつか役立つかもしれない、十年先役立つかもしれない、そういうような、研究。主観をできるだけ排して、客観的事実を積み重ねていって証明する。そのような手法を使っていますね。英語論文を発表しました。その論文が海外で評価されたりするときあります。逆輸入もありますよ。イギリスの地理学史の雑誌に投稿しました。日本の志賀(しが)重昂(しげたか)(1863~1927)に関する研究を英文で発表しました。日本の某建築会社、ものすごく大きなゼネコンです。その会社がオックスフォードに校舎を建設したらしいんですよ。その社長夫人が向こうへ行きました。その社長夫人のお祖父が、志賀重昂なんですね。そして、その行ったときに向こうの地理学者からあなたのお祖父に関する論文がありますよと知らされました。夫人が帰国後、論文に記載された大学名から淑徳大学の私のところへ手紙が届きました。

 

――はい。

 

大学宛に手紙が届き、誰から来たの?という感じでした。後に、一回お会いしてそうするとその孫の方です。彼女は文集を作ったんです。その時に書評したりしましてね。感謝されました。外国語で発表すると、意外なところで評価されますね。

 

――(笑)

 

直接社会に役立つ、実務的な研究がいいとは限りませんよね。間接的に役立つってことはあります。

 

――はい。

――ではもう一つ、源先生のこだわりとかありましたら…

 

あ~。それはどういう意味でのこだわりでしょうか例えば。

 

――仕事上でも、日常生活でも、どちらでも。

 

う~ん…そうですねぇ。こだわりっていうか、私の座右の銘とでも言うんでしょうかねぇ。

 

――あっ、はい。

 

それは、『日日(にちにち)是(これ)好日(こうにち)』ですね~。一日一日が良い日であるようにと、そう思ってますね。これ禅語なんですけどね。

 

――はい。

 

まあそんなとこかなぁ。皆さん方も、一所懸命勉強してください。

 

――はい。(笑)

 

君達は三年生かね。

 

――三年生です。

 

はあ~そう、しっかりしてるね。

 

――(笑)

 

大変だね。心理学科の先生方全員のところ回って。全員で10名ちょっといるでしょ?

 

――はい。

 

大変だねえ。じゃあ結構時間かかるね。

 

――そうですね。心理学科の先生だから、源先生はほかの先生とも傾向が違ったりするから

 

そうですね。

 

――面白かったですね。

 

例えばあるAという仮説に対する、データで実証するとかそういうことではなく、まあ一応仮説は作りますよ。この本は誰が作ったんであろうかってわからないから、やっていくんですよ。

 

――うん。

 

それから、既存で言われている説を検証するのです。例えば、日本の地理学のルーツは普通、ドイツ(プロシャ)がルーツと考えられていたのです。そうじゃあないんだな。同じ時期にイギリスの地理学の本が、輸入されているんだ。それで輸入元は丸善(丸屋)でしょ。丸善のところを徹底的に調べなきゃ出てこないしね~。

 

――調べることが多い。

 

そうですね、物凄く多いです。ですから学生にも徹底してウィキペディアはどこが間違ってるかを発表しろと。

 

――ああ~。

 

そういう指導法ですね。

 

――すごい。

 

ですから『PsycINFO(サイコインフォ)』(心理学関係のデータベース)、是非ですね皆さん方に使ってもらいたいんです。うちのゼミでも心理学との兼ね合いでやりますからね。『PsycINFO』を紹介しています。ほかの学校では、三年生四年生が活用しています。淑徳大学の図書館に入ってますから利用してみては。昔は冊子体の印刷物でしたけど、現在データベースです。

 

――はい。

 

これだと検索を例えば児童文学の“くまのぷーさん”と入れると“くまのぷーさん”に関する心理学者からの研究がずらっと出てきます。

 

――へえ~!

 

それにヒントを得て、卒レポのテーマにできますでしょ。

 

――うんうん。

 

日本では割と少ないんですけど、ディケンズの『クリスマス?キャロル』の主人公のケチな人間がどうして善人に変化したか。心理の変化を書いてある論文がたくさんありますから。時間も余すところ、少なくなってきましたね。最後に、次回機会があれば、図書館?情報学(特に「専門資料論」)と地理学史?地理思想史との接点や社会科学としての図書館学の位置付けについてもお話ししたいと思っています。

 

――はい。

――ありがとうございます。

 

では、ご苦労様でした。

 

――はい。じゃあ、ありがとうございました。

――ありがとうございました。



毎回,研究のたびに発見の続きですね。

 

どうも、今日はこんにちは。

 

一同:よろしくお願いします。

 

このインタビューのお話を中坪先生から最初聞いた時に、ゼミの紹介という事でしたが

 

――はい。

 

ゼミで何をやっているか、そういうことかなと私は思っていました。前回皆さん方が(アポ取りに)いらした時に、先生個人の研究の中での面白い発見とか、研究者としてのキャリアのお話、今回はその二つの話題を混ぜながら、お話しようと思っています。

 

一同:はい。

 

最初に、ゼミでは何やってるかってことをお話します。私が心理学専門の教員ではなく、図書館の情報学の研究者です。ゼミでは三つの分野を勉強しています。第一に、例えば図書館の利用者はどのような心理を持って来るとか、そのような図書館の利用法の関連です。図書館利用者の研究、障がい者と利用者との関係だとか。二番目に絵本を含む児童文学に関する研究。三番目が読書とか出版流通ですね。ベストセラーの本の傾向とか、それらを全部心理学という観点から考察します。例えば、絵本ならば発達心理の観点からアプローチしていくとか、そんなような感じで、卒レポをやってますね。それで、もう一つ別の面から見ますと私のゼミは、大学院に行く学生さんは来てもしょうがないですとはっきり言っているんですよ。つまり、卒業して実社会に出る人、そういう方だけが入ってほしい。大学院に行く希望の学生は、三年から四年に進級する時に、大学院を受け持ちの先生のゼミへご紹介致しています。先ほどの三領域、図書館?情報学、児童文学、それから読書及び出版流通、それら三領域の根底にあるのは何かというと、情報なんですよね。情報をいかに入手して、加工する、というスキルです。手法ですよね。この手法は、社会人になっても非常に生活の場で役立つと思われます。文章の書き方について学び、事務的な文章がうまく書けるというスキルを身につけてもらう。三年生の時にずーっとやってて、四年の卒レポに結びつける。卒レポのテーマを先にのべた三つの領域から見ますと、「心理学的側面から見るグリム童話に関する研究」、「昔話における残酷性の検討」等の人物の心理を分析するものがありますね。

 

――はい。

 

卒レポのテーマは、必ず心理学的観点を活かすということを必須条件にしてます。資料を探し出すことは、三年の時の勉強の大きな目的です。外部の図書館に夏休みは行って図書館見学、レポートを出させます。文章を書かせてそれを添削します。三年の後期はゼミ生が10名位いますから、いくつか本を与え示し、ひとつを選ばせて、皆で輪読します。四年生になると卒レポの書き方についての本を半分は三年で学習し半分は四年で学びます。人数は今、四年は13、三年が11名ですね。ですからまあまあの人数なんじゃないですかね。中坪先生は今どれくらいいますか?

 

――五人ですね、私たちの代は。

――そうですね。

 

私のゼミは先程のべたように心理学専門じゃないんです。皆和やかにやってる感じです。なにしろ和やかにやってくれってことが最初からの私の希望ですからね。できたら三年と四年とも交流できるだけ持つようにしてもらいたい。

ここから質問がありましたらお答えしましょう。

 

――そうですね、やはり研究についてひとつ、聞きたいですね。

 

研究の話は山ほどあるんです。

 

――はい。

 

例えばこの前の君達の質問で、面白い発見とかそういうのありませんかとのことでしたけど、

 

――はい。

 

毎回、研究のたびに発見の続きですね。研究の性格上、毎回発見です。私が研究を仕事としてスタートした辺からのヒストリーをお話しします。私が大学院を修了して研究をスタートしたのは30歳少し前位かな。20代後半で修士論文を書き、専門図書館に勤めた後です。当時の社会状況を見ると、最初にアメリカでパーソナルコンピュータ(PC)が作られたのが1962(昭和37)年なんですよ。これは現実的マシーンではない、いわゆる一般の人がかなり大きなPCを買ってきて電源入れて、パッとつくという風なのが出たのが1977(昭和52)年です。1977年をもってPC元年としているんですよ。私が研究についてまもなくぐらいにPCが登場したのです。しかし、日本では大学院の頃にはパソコンはふれませんでした。

 

――へえ。

 

大学の大きなコンピューターセンターへ行って、パンチカードを打ち込んでね。大変だったんですよ。大学生の頃にはコボル言語をマスターしました。大学院は専門の異なる経済学から情報学へ行きました。パソコンの利用状況自体は、入手することはできなかった。大体、日本では5年から10年遅いですからね。ですから大学院の頃は、色々な情報学の本読んでも、出てくる用語が実際見てるもんじゃないんでね。理解するのに大変だったです。大学院の後半では、コンピュータ関係から離れましてね。図書館?情報学の情報学の方を離れて、むしろクラシカルな、書誌学という方向へ行ったんです。大学院を出るころになりますと、書誌学を専攻し、図書館に勤めました。それで数年たってからこの淑徳にお世話になったんです。その頃はもう完全に書誌学の方に方向転換して図書館学の、トラディショナルな方向にいた訳です。そうしていて1980(昭和60)年ぐらいからワール?プロフェッサーだとか、PCを使いだしました。高かったですよね、大きいし。皆さん方が今こういう風にPCとかノートPCを使うことが当たり前だと思いますが、当時は大変だったんです。最初の研究の段階では、コンピュータはありましたがPCがなくて、まだPCを使う環境ではなかったんですね。昭和の終わり頃からだんだん我々もPCを使うようになってきて、論文を書く時とか、検索する時に利用し始めました。私の場合、日本の地理学の歴史だとか、地理学の思想をやってるわけなんです。例えば、わかりやすい例でいきますと、毎回毎回面白い発見はたくさんあるんですけど、学生さん向きの面白い発見で見ますと、あなた方日常生活の中で「表日本?裏日本」という言葉を使うでしょう。使いませんか?太平洋側の日本は表日本、日本海側の日本が裏日本と。それらの言葉は、ポピュラーなんですけれども、最近、差別的な用語なんであんま使わないようにしてるんですけど。それらの言葉を最初に作った人っていうのは誰かっていうのを発見したのも、実は私なんです。

 

――へええ。

 

「表日本?裏日本」に関する本があると私の名前が登場します。その事実を知ったのは、遺族の方を見出して、遺族から聞き出したんですね。それまでは誰も知らなかったですね。

 

――へえ~。

 

遺族が言うんだから確定でしょう。「矢津(やづ)昌(まさ)永(なが)(1863-1922)」という地理学者なのです。それをまあ私が一番先に見出したのです。その人の肖像写真も私が遺族から手に入れて初めて学会に発表しました。

 

――へえ。

 

その人に関するどんな本を書いたかっていうのも今だったらパソコンでデータベースを利用できるでしょうけど、当時はなかったですからね。全部図書館に行って調べて、現物も調べました。中身まで調べたりしました。そうすると今までの先行研究での誤りがたくさん出てきましてね。

 

――はい。

 

矢津昌永の研究が今にどう役立っているのかって言いますと、君達が知っている気象現象「モンスーン」がありますよね。

 

――はい。

 

矢津は明治時代に「モンスーン」の研究を既にしていました。先駆的に。現代の研究に結びついてきたんですね。私はそのモンスーンの研究が現代のモンスーンとどのように結びつくのかっていうのがわからなかったけども。後になって、そういう客観的データをきちんと積み重ねていって、単純な価値判断を入れずに、研究を続けてきた成果ではないか。矢津は帝国大学出身者ではなく、学歴的中央の学界からだんだん疎外されていくんです。民間の地理学者ですからね。大体私が研究しているのは民間の学者がほとんどなんですよ。

 

――はい。

 

当時の地理学会では、外国の本を元にし、それを翻訳しているんですよ。部分的に原書名が出てくる場合もあるけれど、その名前もカタカナですから、原語は難しいですよね。江戸末?明治期の地理学書の種本探しです。

 

 

 

*インタビュー2につづく

2016年1月21日,今年度の卒業研究報告会が開催されました。

実践心理学科では,大学の4年間を通じて,データの収集と分析の方法について学び,卒業研究として研究成果をまとめます。

この日はその集大成で,各自ポスターを作成し,報告を行いました。