大学の沿革
1965 | 昭和40年4月1日 |
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1966 | 昭和41年8月4日 |
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1986 | 昭和61年5月16日 |
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1989 | 平成元年4月1日 |
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1992 | 平成4年4月1日 |
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1995 | 平成7年4月1日 |
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1996 | 平成8年4月1日 |
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1998 | 平成10年4月1日 |
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2000 | 平成12年4月1日 |
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2001 |
平成13年4月1日 |
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2003 |
平成15年4月1日 |
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2005 | 平成17年4月1日 |
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2006 | 平成18年4月1日 |
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2007 | 平成19年4月1日 |
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2008 | 平成20年4月1日 |
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2010 | 平成22年4月1日 |
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2011 | 平成23年4月1日 |
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2012 | 平成24年4月1日 |
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2013 | 平成25年4月1日 |
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2014 | 平成26年4月1日 |
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2015 | 平成27年9月26日 |
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2016 | 平成28年4月1日 |
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2019 | 平成31年4月1日 |
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2022 | 澳门金沙城中心|游戏官网-【唯一授权牌照】4年4月1日 |
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2023 | 澳门金沙城中心|游戏官网-【唯一授权牌照】5年4月1日 |
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学祖?長谷川良信先生のご紹介
宗教?社会福祉?教育を三位一体とし、人間開発?社会開発に生涯を捧げる
社会福祉の新しい形を世に示し、生涯にわたり、それを実践してきた学祖長谷川良信。 淑水記念館にて学祖生誕120年を記念し、貴重な史料?写真が公開されている。 著書や手紙の一語一句、写真に写った表情の一つひとつから、他者への深い愛情、宗教?社会福祉?教育にかける熱い思いが伝わってくる。学祖の足跡に触れる ことで、本学の原点を振り返ってみたい。幼少期(1890~1909)
1890(明治23)年、茨城県西茨城郡南山内村(現?笠間市)にて生まれる。6歳の時、浄土宗得生寺に養子として入籍。ここで、仏縁を結ぶ。
資料によれば、生家の事情で母の姿を見ることは少なく、心寂しい幼少期であったと推察される。もしかしたら、それが後の他者に対する慈愛につながっているのかもしれない。得生寺では、養父の教えをよく守り従順であったが、反面、気の強い面も見られた。
質実剛毅。そんな幼少期の姿が浮かび上がってくる。
資料によれば、生家の事情で母の姿を見ることは少なく、心寂しい幼少期であったと推察される。もしかしたら、それが後の他者に対する慈愛につながっているのかもしれない。得生寺では、養父の教えをよく守り従順であったが、反面、気の強い面も見られた。
質実剛毅。そんな幼少期の姿が浮かび上がってくる。
青年期(1910~1930)
東京?芝の浄土宗立芝中学校(現?芝学園)から、宗教大学(大正大学の前身)へ。ここで、恩師?渡辺海旭先生と出会い、社会事業への一歩を踏み出す。東京?西巣鴨のスラム街、通称「二百軒長屋」に単身で移住。子どもたちの夜学や住民の相談に応じるセツルメント(隣保事業)を行う。この事業を組織的に継続するために、1919(大正8)年、マハヤナ学園を創設。同年『社会事業とは何ぞや』を発表。社会事業に専心した時期といえる。
壮年期(1931~1952)
1924(大正13)年、マハヤナ学園内に、大乗女子学院(夜間)を開設。隣保事業の延長として勤労女子の教育に乗り出す。社会事業と教育事業を両輪とし つつも、ことに第二次世界大戦後は、幼児教育から高等教育にいたる総合学園としての「大乗淑徳学園」を創設するなど、我が国の復興を期して教育事業に尽力 する。
1951(昭和26)年、大巌寺第六十世住職に就任。「大巌寺文化苑」の構想のもと、宗教?教育?社会福祉を三位一体とした各種事業を推し進める。
1951(昭和26)年、大巌寺第六十世住職に就任。「大巌寺文化苑」の構想のもと、宗教?教育?社会福祉を三位一体とした各種事業を推し進める。
老年期(1953~1966)
1953(昭和28)年、63歳にして単身でブラジルに渡り、日伯寺を創建するなど、南米開教に力を注ぐ。実に8ヶ月間でブラジル全州の大半を踏破、約2千人の新たな知縁を得たという。この後も、病身をおして二次、三次と渡伯した。
1965(昭和40)年、国内4番目の社会福祉系単科大学として淑徳大学を創立。生涯の事業の集大成が図られた晩年は、文字通り宗教?社会福祉?教育の三位一体期と言えるだろう。1966(昭和41)年、理想に邁進した76年の生涯を閉じる。
1965(昭和40)年、国内4番目の社会福祉系単科大学として淑徳大学を創立。生涯の事業の集大成が図られた晩年は、文字通り宗教?社会福祉?教育の三位一体期と言えるだろう。1966(昭和41)年、理想に邁進した76年の生涯を閉じる。
『社会事業とは何ぞや』
学祖29歳で発表。わが国で「社会事業」を書名に使用した最初の著作。「彼と共に」の言葉もこの中で述べられた。さらに、社会事業を体系的に分類し、総合的な支援を提起するなど、画期的な内容となっている。